真延流とは

「真延流」とは、私が様々な格闘技の

試合に勝つ為に、約三十年かけて

習得してきた技術の総称であり、

その技術を武道・武術として

編纂した流派の名称でもあります。

 

現在ではそれが、

「総合武術 真延流」

という団体の名称となりました。

 


総合武術について

真延流では、

・剣術

・柔術

・弓術

・槍術

・馬術

の五つの武術をもって

総合武術とします。

 

現在では剣術と柔術を教えており、

弓術や槍術の研究を進めています。

いずれは乗馬が出来る施設を見つけ、

馬術の研究も再開したいと

考えています。

 


歴史

真延流は有名な古流武術の流派の様な

大層な歴史はありません。

剣術を始めたのは僅か3年前です。

 


活動内容

〇剣術の活動

・実戦剣術の研究

・武道としての精神修練

・乱取りを中心とした練習

・他流派との練習交流会の開催

 

〇殺陣の活動

・新しい殺陣の研究

・殺陣の練習

・パフォーマンスの披露

・合戦系のお祭りへの参加

・殺陣の寸劇

 

〇柔術の活動

・組討ち技術の研究

・ブラジリアン柔術の研究

・総合格闘技の練習

・他団体との交流練習会の開催

 

〇弓術の活動

・森川香山の五射六科を参考にした

敵前の研究

・実戦弓術での射技の研究

・甲冑を纏っての弓技の研究

 


◎真延流の目的

真延流の目的は、

“武術の研究”

“武道の修養”

の二つです。

 

○武術の研究

第一章

武術の歴史

 

400年前の戦国時代では、

軍として敵を倒す為に、

また、自分が生き残る為に、

実戦的な武術の開発,研究,そして

訓練をしていました。

 

しかし、残念ながら

この400年の歴史の中で、

その技術は完全に失われています。

 

ですので私は,

現在残っている古流剣術は、

全て戦中戦後に再現された物

だと考えています。

 

通常、失われた武術を

再現しようとした場合、

以下の二つがベースとなります。

 

・古文書や文献などを読み解く。

・そこに書かれている文章や

挿絵を頼りに研究する。

 

無論、いくらそれらの

資料を研究したとしても、

その資料の記述が

当時行われていた武術の内容を、

正確に表しているとは限りません。

 

そして何より、

そんな資料をベースに、

闘ったことの無い人が

いくら研究し、再現したとしても、

その技術は実戦の場では

ほとんど役に立ちません。

 

古流武術の動きが、

スポーツ力学的に見て、

ヘンテコな動きなのはこの為です。

 

第二章

武術の再現

 

当時の武術を再現する方法は、

1つしかありません。

それは、もう一度最初から、

合戦の場で戦えるような

実戦的武術を考え直し、

作り直す事です。

 

使用する武器と鎧が

当時と同じであれば、

戦闘方法を突き詰めていけば、

恐らく当時と同じ結論にたどり着き、

その技術水準が高ければ高いほど、

戦乱の世で生き残る為、

必死で編み出された、

“本物の武術”に近くなる筈。

 

少なくとも、

運良く現代まで残ってきた

過去の文献を頼りに

武術を再現するよりも、

より正確なのではないか?

と考えます。

 

第三章

武術の研究

 

現在日本では、

実際に戦っていると言えるのは

格闘技の世界だけです。

ですので、現在における

戦闘の最高峰技術は、

総合格闘技を始めとする

現代格闘技の中にあると言えます。

 

その技術をベースに、

刀や槍で戦う

技術の研究をする事。

その技術を実際に

乱取りや試合で試し、

“本物の武術”を研究する事。

 

これが、真延流で行う

武術の研究です。

 

○武道の修養

上記の通り、真延流で

研究・体得していく

武術は、実際に戦う為の技術です。

逆に言えば、

“人を殺す為の技術”

だとも言えます。

 

目的が“人を殺す為”という

禁忌的な武術であるからこそ、

それを教える過程で、

礼儀,作法,節度,を学び、

武徳を積んでゆく事が

絶対的に必要となります。

 

武道家同士が礼儀や作法を

おろそかにすれば、

争いの火種になります。

人を殺す能力を持った者が

節度をわきまえないと、

簡単に暴力に頼りがちに

なってしまいます。

それは最終的に、

周りや自分さえも

傷付ける事になりかねません。

 

野球やサッカーが上手くなっても

何のデメリットもありませんが、

強くなる、つまり武力を手に入れる

ということは、それだけで

危険な事柄だと言えるのです。

 

だからこそ、

礼儀を重んじ、

作法を守り、

節度をわきまえる事が

出来るように、

教えなければならないのです。

 

そして乱取りや試合等、

実際に相手と戦う事を通じて、

自分が傷付く痛みを知ります。

 

自己の痛みを知ることで

他人の痛みを知り、

他人の痛みを知る事で、

人に優しく接する事を学びます。

 

そして自分が傷付く事を覚悟し、

人の為に戦う事が出来る

勇気を持てるように、

自己の心身を鍛える事、

これを武徳と言います。

 

礼儀を重んじ、作法を守り、

節度をわきまえ、

武徳を積んでいく事で、

武道として人の道を歩み、

心身の修練を目的とする。

  

 

これが、真延流における

“武道の修養”です。